アマン伝説

創業者であるエイドリアン・ゼッカのインタビューも含めてアマンリゾートに本格的に迫った本である。
前半は主にアマン誕生に至るまでの歴史を紐解いていき、後半ではアマンの魅力や日本における展開などが
かなり詳細にまとめられていて非常に参考になった。

アイディアを最初に発案したのは、スリランカ人建築家のジェフリー・バワであり、世界初のインフィニティプールは1981年開業の旧トライトンホテル(現在のヘリタンス・アフンガッラ)だが、世界的に有名になったきっかけは、アマンだろう。いまでもインフィニティプールの最初は、アマンダリだと信じている人が少なくない。

今となっては国内でもよくみかけるインフィニティプールも随分前に考えられたものだったとは。
Sri Lanka Hotels | Heritance Hotels Sri Lanka | Official Site

この時、現場建築家となったのが、後に多くのアマンリゾートを設計することになるケリー・ヒルである。彼は、主にパブリックエリアを担当した。たとえばレセプションとロビーにある建物は、バリ伝統の集会場であるワンティアンにヒントを得ている。ケリーは、フレンドから助言を受けて、彼がお気に入りのワンティアンを見学に行ったという。客室棟は、70年代のリゾートホテルらしいモダニズムが採用されたが、ビーチ沿いのロケーションを生かしたバリらしい雰囲気は、いまなお多くのリピーターに愛されている。

こちらはバリハイアットに関しての話。アマンには泊まったことがないが、サヌールにあるバリハイアットには
泊まったので、ホテル周辺や天井が高いロビーの雰囲気なんかはよく憶えている。古いのだけど、昔の良き時代と
いうかリゾートの走りのような感じがしっかりと残っていた。野犬やドアがないワゴンも頻繁に行き交っていたし。

ちょうどその頃、森の記憶によるならば92年頃、エイドリアンのたっての希望で油壺に同行したことがあったという。森は曰くありげに「ここがアマンリゾーツの原点なんですよ」という。

三浦半島の浜諸磯にある別荘がエイドリアン氏のリゾートの原点らしい。相模湾と富士山が一望できるロケーション
というのもあるが、そこはかとない懐かしさを感じられるというのもよいのかもしれない。

「その場所に5分もいれば、アマンにふさわしいかどうか、私にはわかるんです。私の内臓が私におしえてくれるからね」
エイドリアンのその答えが、まんざら嘘でもないと思ったのは、かつてアーバンコーポレイションでアマンリゾーツと共にリゾート開発に携わった松崎和司の話を聞いた時だった。「石垣島の近くにある、琉球王朝の子孫が持っているという無人島をリーマンブラザーズから紹介されたことがありました。海がきれいで汚されていない、アーバンで何かできませんか、と言う。私はアマンができたらどうだろうと思ったんですね。島に来ると、彼はいきなり服を脱いで海に入ったんです。そして、ノーと言った。まず第一に海流があやしい。ゲストが流されて死んだら困る。第二にビーチから西表島の朱色の鉄骨の橋が見えたんですが、それがよくないと。その時、彼は土地選びの天才だと思いましたね。

このエピソードはなかなか興味深かった。普通の人なら気が付くことのできない部分も含めて、リゾート地を
肌感覚で選ぶことができるということなのだろう。

「しかし、ここは、ホテルは建てられない地域だったのです」第一種住居地域であれば、3000平方メートル以下の条件を満たせば、旅館・ホテルの建設は可能だ。ということは、最も規制の厳しい第一種低層住居専用地域であろう。この場合、ホテル・旅館の建設は、禁止である。

アマン東京が発表されて話題になったが、もっとアマンらしいロケーションとして京都のアマンニワの噂などもあった。
かなり前から気になっていたが、一向にできるという話が出てこないので多分ないのだろうと思っていた。

アマンニワが着工しない理由を西は、次のように説明する。「京都には、ホテルに通じる道路は幅六メートルないといけないという条例があるんです。あそこは、その道幅がとれない。それで許可が下りないんですよ。」

熱海の界熱海付近のアマンタミ。岡山の鬼ノ城ゴルフ倶楽部。外房のアマンウミ計画に至ってはかなり具体的なところまで
進んでいたとみえる。34ページの議事録も残っているし。

https://www.nikoukei.co.jp/SearchDisplay/Detail/Report.html?sequential_number=00092148&target=top
http://www.pref.chiba.lg.jp/shizen/jouhoukoukai/shingikai/shingikai/shizenkankyou/documents/20070118_kaigiroku.pdf

「アマンの凄さは、土地を見極める能力が彼にあることだと思います。でも、その土地選びの能力は、ノウハウとして確立されていないのです。それと、はっきり言ってしまえば、でき上がったものに興味はない。オペレーションでは儲かっていなかったと思います。土地を動かすときに、不動産屋として儲ける、それがエイドリアン・ゼッカの手法なんです。土地のイメージを膨らませて、こだわって、ケリー・ヒルとか使って形にしてゆく。造るまでが、アドレナリン吹きまくりなんですね」

結論はきっとこれなのだろう。最適な土地を見つけ、その土地の歴史とロケーションを活かしつつ、
アマンらしく仕上げていく。インドネシアもよいが、フィリピンのアマンプロに無性に行きたくなった。


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山口 由美

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