知の収穫

 何の本なのかと思い、読み始めたら雑誌の書評とエッセイをまとめた本であった。
呉氏は評論家として斬新な切り口と語り口の面白さで以前から信頼できる評論家の
一人であった。シナと呼んでなぜ悪いという主張が割りと有名だろうか。

 内容としては毎回2冊の本を選び、それらの本がどのようにその時代を映しているかの
感想を書いていっている。切り捨てられる本ももちろん多いが、それを読んで浪費した
時間を嘆きながらもきっちりと向き合って書かれているところに好感が持てる。
第二部にあるマンガ批評についても一読の価値がある。

「シナ」の語源ですが、シナ史上最初の統一帝国「秦」(チン Ch'in 前221-207)から来ています。この「チン」(秦)がインド(サンスクリット語)に伝わり、「チーナ」(Cina)・「ティン」(Thin)となり、更にヨーロッパへ伝わり、「シーヌ」(Chine 仏語)・「チャイナ」(China 英語)と変化していった訳です。そして、戦前の日本で広く使用された「支那」もこれと同様で、梵語サンスクリット語)の「チーナ」がインドの仏典と一緒にシナに逆輸入されたもので、シナ人自身が「支那」・「脂那」と表記したのが起源です。つまり、シナ側が侮蔑用語としている「支那」の表記は、シナ自身が編み出したもので、日本人は江戸時代中期以来、終戦まで、それを借用していたに過ぎないのです。又、日本人
が使用していた「支那」が侮蔑用語だというならば、「シーヌ」も「チャイナ」も又、侮蔑用語となる訳で(語源は全て同じなのだから)、シナが自国の英語表記を、「People's Republic of China」(中華人民共和国)とする事自体、矛盾している訳です。


知の収穫知の収穫
呉 智英

双葉社 1997-01