ロードス島攻防記

コンスタンティノープルの陥落」に続く3部作の第2部。締めくくりの続編は「レパントの海戦
となっている。最近では珍しく薄くて安い。薄いものの248ページあり、400円である。価格はさておき、
第1部の「コンスタンティンノープルの陥落」よりもこちらの作品の方が読みやすかったというか、
感情移入することができた。登場人物があまり多くなかったのと魅力的な人物が多かったためであろう。


聖ヨハネ騎士団は、1023年ごろアマルフィの富裕な商人マウロが、エルサレムの洗礼者ヨハネ修道院の跡に
病院を兼ねた巡礼者宿泊所を建てたことに始まる。第1次十字軍の後、プロヴァンスのジェラールの努力に
よって、1113年に教皇パスカリス2世から、騎士修道会として正式な承認を得た。当初は、病院・宿泊所
としての役割が強かったが、やがて、1119年に設立されたテンプル騎士団と同様に軍事的要素を強めていった。


前半は、歴史やら城壁について多くのページを割いている。それはやはり少数精鋭で守るためには城壁自体が
生命線となったからであろう。城壁なんていうものは高ければ高いほどいいのかと思っていたが、この時代には
大砲が登場してきており、それを考慮した建て方が必要であった。堀を埋められるとか、あまり離れすぎていると
今度は砦から攻撃が届かないなどという問題も出てくるのでそのあたりも考慮されていたのだと知る。

しかも、デル・カレット砦のつくりとなると、完全にこれまでの築城の常識を越えていて、高々とそびえ立つのが従来の砦であれば、これはまったく反対に、がっしりと地上に腰をすえた印象を与える。二十世紀の今より見ても、五百年昔のものなのに、砦というよりも、バンカーと近代的によんだほうがふさわしいくらいである。胸間城壁も、大砲をそなえつけるのを主目的としてつくられているので、低く厚く、砲撃を浴びせられても微動だにしないのではないかとさえ思われた。


この時代の最先端の城壁を味方につけ、1522年にオスマントルコのスレイマン1世率いる10万の兵に対して、
聖ヨハネ騎士団は騎士600足らず、傭兵1500余り、参戦可能な島民3000で迎え撃つわけである。マルタ島
関連していたことを知りロードス島マルタ島の両方に行きたくなった。


ロードス島攻防記 (新潮文庫)ロードス島攻防記 (新潮文庫)
塩野 七生

新潮社 1991-05
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