物語 シンガポールの歴史

シンガポールで有名な人といわれて出てくるのはラッフルズとリー・クワンユーである。
前者はラッフルズホテルを作った人という認識程度しかなかった。そもそもシンガポール
どのような経緯で建国されたのかを知らなかったので、本書はまとまっていてわかりやすかった。

1819年、イギリス東インド会社の社員トーマス・ラッフルズは、英領インド初代総督となったウォーレン・ヘースティングズの許可を得て、ジョホールの対岸にある島シンガプラ(現在のシンガポール)に上陸し、リアウにあったマレー派の王族フサインを招き、ジョホール王として即位させた。この島の地政学的重要性に目を付けたラッフルズは、ジョホール王となったフサイン・マフムードとシンガプラの首長(トゥムングン)であるマハーラージャ・アブドゥル・ラーマンとのあいだで協定を結び、要塞と商館を建設することを合意してジョホールフサインからこの島を買収した。*1

ジョホール王国に商館を建設するところから始まって計画的な買収だったようだ。当事者からすると
それなりにメリットがあって魅力的な面もあったからうまく進んだのだろうけど。以降は気になる
部分を幾つか列挙してみる。

そのため、病気や外国旅行などの正当な理由なく、投票を怠った国民は次回以降の選挙権を失うなど、社会的な不利益を被る(ただし、10シンガポールドルを支払えば選挙権を回復できる)。これもあり、毎回の投票率は、98%前後と高い。

凄い投票率である。日本も真似をすればよいのに。お金を払えばいいやという人も出てきそうだけど。

しかし、そもそも野党が国会の79議席のうち、わずか2議席を獲得しただけなのに、なぜ人民行動党は危機感を持ったのだろうか。その理由は、リー・クワンユーの理想とする国会形態が、野党ゼロ議席だからである。

このあたりはやはり違和感を感じる。人民行動党が先頭に立って、人民の道しるべとならなければ
いけないという信念によるものなのだろうけど。

1997年と2001年の総選挙で人民行動党が完勝した理由は、次の点にある。すなわち、少なからぬ国民が、人民行動党が提供した経済発展を評価しながらも、自由主義スタイルを掲げたゴーが首相になったとはいえ、依然として実権をリー・クアンユーが握る人民行動党に、自分たちの希望を聞いてもらえないので、言うだけ無駄である、それどころか大きな不満の声を上げると弾圧される危険性すらある、ならば黙って従うのが最善である、というあきらめの気持ちである。

完勝したといっても心から賛同している人は昔に比べると確実に減っていっているのだろう。
リー・シェンロン首相もそのあたりを踏まえた上で引き続き成長を続けていけるような
政策を取り続けていくのであろう。


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岩崎 育夫

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https://ja.wikipedia.org/wiki/シンガポールの歴史

*1:この部分だけwikipediaより